江戸東京の「美・技・味」探訪③ 江戸木版画

長尾版画匠
摺師 長尾雄司さん

さくらの板目板に絵具を塗り込め、その上に手早く正確に和紙を置いて
馬連(ばれん)という道具で摺って版木に彫られた絵柄を写し取る。
版木をいくつも取り換えて違う色を摺り重ねていくと、次第に絵柄が鮮明になっていく。
摺りは、江戸から続く多色印刷技術である。

江戸木版画は、西洋印象派のアーティストに大きな影響を与えた浮世絵版画を生み出した日本の伝統美術である。長尾雄司さんは、江戸中期に確立されたその技術を摺師として今に受け継ぐ伝統工芸士である。木版画は絵師、彫師、摺師の分業で成り立つ。長尾版画匠は摺り専門の工房として明治時代に初代の長尾釮吉さんが元浅草で開業し、1963年生まれの雄司さんで3代目になる。一時は数人の摺師を抱える摺専門工房として続いてきたが、30年ほど前から弟の次朗さんが彫師として加わり、現在は二人で切り盛りしている。

木版画は人の手だけで成立する高度な印刷技術である。浮世絵版画は、もとは仮名草子(冊子)の挿絵として使われた墨摺絵が観賞用に一枚絵として発達したもの。葛飾北斎や歌川広重、喜多川歌麿ら人気の絵師がこぞって美人画や風景画、役者絵を出版するようになると、江戸っ子の人気を集めた。人気のある絵柄は何千枚と売れたという。その裏で、彫師は元絵を再現する技術を磨き、摺師は色再現の技を追求して世界に類を見ない多色印刷を確立した。

髪の毛1 本1 本の繊細な線も、なだらかに変化するグラデーションも、寸分の狂いもなく刷毛と馬連で再現する。版木の下部に小さな溝(ジグ)が彫られていて、この溝を頼りに紙を置く。湿度や気温で伸び縮みする版木と紙を微調整する勘どころも欠かせない。

摺りの腕を計るのに「輪郭線を1日200枚摺れたら一人前」という。輪郭線は最初に墨で摺られる最も重要な基本版で、師匠が担当した。その難しさは、例えば髪の毛1本1本の余白がつぶれてしまわないようにコントロールする絵具の盛り加減と、均等に紙に写し取る摺りの力加減。そして何よりも、色版を取り換えて摺りを重ねても狂いの無い見当あわせにある。

主に手掛けるのは、江戸時代の人気浮世絵の復刻。当時のオリジナルの版はほとんど残っておらず、作品をもとに新たに版木を彫って制作する。この日、雄司さんが摺っていたのは江戸後期から明治にかけて活躍した河鍋暁斎の「雨中白鷺図」。一見すると足と嘴の黄色以外は墨一色に見えるが全9版を重ねる大作である。一方で弟の次朗さんが彫っていたのは葛飾北斎の代表作「甲州石班澤 」。戦災で創業期からの版木はほとんど消失したが、今でも100作品を数える版木があるという。

歌川広重の「白鷺」(上)は、背景のグラデーションのなだらかさと、葉だけでも数版を費やす色分けの細やかさが見どころ。「東海道五十三次之内 庄野 白雨」は暴風雨を竹藪のしなり加減と斜めに降り注ぐ雨脚の強さで表現した名作だが、すべて墨の濃淡で摺り重ねられている。工房に隣接したショールーム兼ショップには、長尾版画匠の歴史ともいうべき作品が並ぶ。中央に飾られているのは二代目の写真。版画だけではなく、千社札やポストカードの注文にも応じてくれるという。

長尾版画匠

東京都台東区元浅草1-1-1
TEL.03-3847-0772