鹿児島市内~開国の立役者、西郷隆盛ゆかりの史跡めぐり

西郷隆盛は薩摩藩(鹿児島)の下級武士の家に生まれたが、その才気を藩主島津斉彬に見出され重用された。当代一の開明派の薫陶を受けた西郷だが、斉彬の急死で失脚。その後、家老の小松帯刀や幼馴染の大久保利通らの後押しで幾たびもの苦難を乗り越えて、薩長同盟の成立や王政復古の立役者となった。鹿児島市内には誕生の地、西郷武家屋敷跡、私学校跡など西郷隆盛ゆかりの史跡があり、特に城山周辺では西南戦争時の貴重な史跡を巡ることができる。ドン広場と呼ばれる西南戦争薩摩本営跡をはじめ、城山から鶴丸城跡へ下る途中にある西郷隆盛洞窟は、戦争の最末期、城山を包囲した政府軍の総攻撃を受けた最後の5日間を過ごしたとされる。さらに洞窟を出た先には、銃弾を受けた西郷が「晋どん、もうここらでよか」と、別府晋介の介錯により49年の生涯を閉じた西郷隆盛終焉の地が。そして、上竜尾町の桜島を望む丘に広がる南洲墓地。ここには西郷隆盛はじめ西南戦争で戦死した2千人余の将士が眠っている。一国を動かす力と人々に向ける慈愛を併せ持つ西郷どんは、今も鹿児島で絶大な人気を誇る。西郷隆盛が好んだ「敬天愛人」の言葉も人気で、まさに彼の人柄や人生を象徴していて、ゆかりの史跡巡りでそれを身近に感じることができる。

西郷隆盛銅像:鹿児島市城山町4-36  初代忠犬ハチ公も手掛けた郷土出身の彫刻家、安藤照が8年かけて完成させた城山展望台:鹿児島市城山町  ※桜島を望みつつ西郷隆盛に想いを馳せる

南洲墓地:鹿児島市上竜尾町22-1  ※西郷が眠る南洲墓地、南洲は西郷隆盛の号

 

 

 

 

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